キリスト兄弟団上田教会

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2026年6月28日聖霊降臨節 第六主日礼拝

今週の聖書の言葉

「あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。」

コリント人への手紙第二3章3節

礼拝メッセージ要旨

聖書箇所…出エジプト記

20章1~17節〈旧〉134p

説 教…「聖書の古い決めごと 十戒 と 新しい決めごと と私たちは何の関係があるのか?」

〇はじめに

先週までは、使徒のはたき2章のペテロのペンテコステでの説教から、3回に分けてお話しました。この出来事は弟子たちにとって、十字架、復活、そして昇天と並んで忘れがたい出来事だったでしょう。彼は聖霊に聖霊が注がれて、立ち上がり歩みだしました。この聖霊と言うお方はイエス・キリストを指し示し、弟子たちを奮い立たせました。私たちにも同じ聖霊様がいてくださることを感謝したいと思います。さて今日は少し、違う方向から聖書を読み、恵みを味わっていきたいと思います。私たちの間にもルールというものがあります。法律があります。これは不完全なものです。神様はイスラエルの人々に大切な10の戒めをお与えになりました。これが映画にもなった十戒というものです。

1.十戒と律法について

イスラエルの民に与えられた十戒、そして十戒を土台とした律法がイスラエルの民には与え得られていました。私たちにも憲法があります。

憲法に関しては様々な思いや、考えがありますが、これを土台としてさらに様々な法律が与えられています。これが効いてくるのは、その法律に違反している時です。その例をあげればキリがありません。ニュースや新聞、ネットに沢山の情報があります。普段は気にせずに過ごしている時が多いのではないでしょうか…、なにかをしようとする時には、そのすることに対して、関係のある法律を気にする時もあるでしょう。前置きの前置はここまでにして、イエスらエルの民には律法が与えられていました。これは単に草案を練って、これを発布して、それを受け止めてというものではありません。神から与えられた、宝と言うべきものです。それを守って歩んで行く時に、神の前に義とされるということがあるからです。正しく歩む者を神は省みてくださる。救ってくださるというのが土台になります。なので、十戒は土台、律法は生活の中に据えられた記念碑みたいなものです。イスラエルの人たちはこの十戒と、律法に基づいて考え、行動をするように神から導かれていました。中には主に従って歩んでいた人もいましたが、必ずしも旧約聖書を読んでいくとそうではありませんでした。特にイスラエルの歴史の中盤、から後半が書いてある、士師記、列王記第一と第二、歴代誌の第一、第二を読むと、そのことが分かって来ます。

2.十戒を読む

それでは神が守るべきものとして十戒を与えられました。これを読んでいくことにしましょう。先ず後ろから今一度読んでみましょう。他人のものを欲しがってはならないと書いています。これは気持ち、思い、考え方の問題ですが、法律は行いについて色々と決めていますが、十戒は人の思いまで踏み込んでいます。色々と持っているものを欲しがってはいけないと、…これが進むと嘘を言うようになります。…場合によっては姦淫というようなことも起こって来ます。そして行きつくと、人を殺めてしまうということに行きつきます。これを禁じています。そしてその土台にあるのが、父と母を敬えということがあります。しかし、ご存じのように、色々なお父さん、お母さんがいます。時にはそう呼びたくないとお持ってしまうような凄惨な事件が起こってしまっています。だからこそ、聖書は言います。安息日を守るようにと…それは礼拝すべき方を礼拝するようにと言うのです。そして、次に遡るとみだりに唱えないようにと書いてあります。礼拝するべきお方を礼拝するなら、敬意をもって神様を呼び求めなさいと言うことです。そして遡ると、偶像をつくな、それを拝むなということが出てきます。礼拝の対象は様々にあるでしょう。しかし、誰を拝むのかは大切なことです。そして、最初を見ると私以外に他の神々があってはならないとあります。天地を造り、イスラエルの民を導いて来た主、以外には無いのだというのです。

3.十戒は与えられたけれど…、神は解決してくださった。

しかし、どうでしょうか、どのくらい私たちはこれを守れているでしょうか…。イスラエルの歴史もまたそうです。彼らはエジプトで神を呼び、神は彼らを救い出してくださいました。十戒が与えられたにも関わらず、世代が進むにつれ、歴史が進むにつれ、十戒、律法は省みられなくなりました。…時至ってこの問題を解決するために来られたのがイエス様です。キリスト…救い主です。そしてこの方が、約束してくださった聖霊が与えられたのです。この方のことをパウロは第二コリント3:3の中で書いています。心の中に、聖霊と言う方を与えてくださると、ここに更なる解決があります。

〇むすび

律法を与えられたが民は守り切れなかった。しかし解決は福音にある

〇これからの歩みのために

私たちにはイエス様によって罪赦され、聖霊を受ける恵みがあります。

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2026年6月21日

聖霊降臨節 第五主日礼拝

今週の聖書の言葉

「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」

ヨハネの福音書 14章16節

礼拝メッセージ要旨

聖書箇所…ヨハネの福音書

14章16節〈新〉214p

説   教…「いつまでも共にいてくださる助け主…聖霊」

 

〇はじめに

 先週は、使徒の働き2章33~47節からペテロが何を語ったのかについてお話しました。天に上ったのはダビデ王ではなく、十字架にかかり死んでよみがえられたイエス様であること、このかたが今や主(ついて行くべきお方)ともキリスト(メシア、油注がれた者)とされたのだとペテロは語りました。この方は権威をおび、この世界をさばく立場につかれたのだということでした。これに当時弟子たちのところへ集まってきた人たちは、心を刺され、悔い改めてイエス様を信じたのでした。イエス様の名のもとに集まった120人たちから3000人に増え、教会は誕生したのでした。今日はヨハネの福音書14章16節の聖句から聖霊と言う方はどういう方なのかをお伝えしたいと思います。

 

1.聖霊様は助け主

使徒の働きを通して、聖霊と言う方がどのよう経緯で与えられたのかということ、どのように与えられたのかということを見てきました。イエス様がよみがえり40日弟子たち共に歩み、天に帰って、聖霊を遣わしてくださったこれがペンテコステに起きた出来事、これは単にポンと起こったこと、弟子たちがそう感じたとかいうことではなくて、響きを聞いて集まってきた周りの人たちが目の当たりにし、旧約聖書に書かれた神様からの預言が成就し、そしてイエス様が約束されたという事実でした。そしてペテロの話を聞いた人たちが心が動かされて、イエス様を信じるに至ったのです。ではこの方はどの様なお方なのでしょうか?ヨハネの福音書では、最後の晩餐のときにイエス様が話されたことの中に、助け主を送るのだということが書いてあります。まさに今日の聖書箇所、聖句がそれに当たります。イエス様は十字架にかかり私たちひとりひとりの罪の贖いをされて、よみがえられ天にかえられ、右の座に着座されて終わりではありませんでした。わたしたちのために助け主を送ってくださると約束してくださったのです。だれでも何の道しるべも無く、時には方向が誤った道しるべがこの世の中にはあります。しかし、聖霊様が私たちの助け主としてくださり、日々の中にあって助け導いてくださるのです。イエス様は弟子たちをイエス様がいないということで、孤児のようにされるということはありませんでした。誰か助けが欲しい、聞いて欲しいと思う時に、助け主である方がともにおられるのです。  

 

2.聖霊様はともにうめき、とりなし祈ってくださる方

ヨハネの福音書のなかには他にも聖霊様について書かれたところがこの後も出てくるのですが、今回はローマ人への手紙に目を向けたいと思います。8章26節〈新〉310pです。ここでも御霊、聖霊が、弱い私たちを助けてくださると書いてあります。神の前で罪を犯し、時に悩むのが私たちです、この問題が解決したかと思えば、違う問題がわき起こってきたりします。そのような中で、助け主がおられるというのです。どのように祈ったら分からない時、悩みや悲しみに押し潰されそうになって、祈ることも出来ない時に、かたわらにいてくださり、ともにうめいきを持って祈ってくださるのです。人間の思いを探られる方は、御霊の思いがなんであるかを知っておられ、神のみこころにしたがって、とりなしをし、祈っていてくださるのです。自分ではどう祈ったらよいかわからないけれども、その時に聖霊がいっしょに祈っていてくださるのです。神様の思い、計画にそって祈ってくださるのです。

 

3.聖霊様はともに歩み導いてくださる方

 次にお伝えしたいことは、聖霊は共に歩んでいてくださる方だといことです。もう一つ聖書の箇所を開きたいと思います。ガラテヤ人への手紙5章16、18節〈新〉382pです。ここではパウロは御霊、聖霊と共に歩むことを進めています。聖霊と言うお方は共に歩もうとしていてくださる方、天地万物を作られた神様のみ心を良く知っていてくださる方が私たちと同伴してくださるのです。これほどまでに心づい良いことはないのではないでしょうか。そして、御霊に導かれていく時に律法の下にはいないと書かれています。この律法については来週にお話ししたいと思っています。律法の下にはいない…どのような時に律法はものを言い出すのでしょうか、効力を発揮するのでしょうか、それは神のみ心に沿わない時にです。19~21節にその例があげられています。そのような時に律法は効いてきます。聖霊はむしろ、神のみ心に沿った歩みへと導いてくださるのです。そういう果実、成果を結ばせてくださるのです。

 

〇むすび

聖霊様は助け主、そしてとりなし手、そして導いてくださる方

 

〇これからの歩みのために

私たちはイエス様によって罪赦され、そしてこの方の霊、イエス・キリストの霊、聖霊と言う方が、共に歩み、導いていてくださろうとしておられるのです。この方と共に主を崇め、歩んでいきましょう。

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