今週の聖書の言葉
「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。」
マタイの福音書 25章13節
今週の礼拝メッセージ
礼拝メッセージ要旨
2026年8月23日
聖書箇所…マタイの福音書 25章1~13節 〈新〉52p
説 教…「オリーブ山から未来を語るイエス様④」
〇はじめに
先週は、マタイの福音書24章32~51節より、イエス様がオリー
ブ山で語られたことの三回目としてお話ししました。イエス様は、人に
は耐えられないような環境になっていく、しかしそのようになってもイ
エス様の言葉は残っていくのだというのです。 正気の沙汰か?それとも
どこかおかしな人なのか…、いや本当に人となられた神なのか…、神で
もなければ確信を持てない、この世界を超えた方でなければ言えないこ
とを語っておられます。神ならばこの方にこそ希望があるのです。しか
し、一方で人々はゆでガエルのように、ノアの時のように、日々変わら
ない生活を、その日、その時まで送っているというのです。ある日、突
然そういう時が訪れる…。イエス様は、大きな視点で、この世界を超え
た目線から、警告しておられるのです。信頼すべきお方、ついて行くべ
きお方はこの方なのだと私たちは、確信と希望を新たにしつつ、今日は
その続きの聖書箇所である、マタイの福音書25章1~13節に目を向
け、耳を傾けて参りましょう。
1.天の御国は…とたとえを語られるイエス様
イエス様は、 ここから天の御国はそれぞれともしびを持って花婿を
迎えに出る十人の娘にたとえることができると語りだされます。5人は
愚かで、5人は賢かったと、ここで10人の娘たちが半分は愚かで、半
分は賢い人だったということが言われます。ということは、10人いた
けれど、二種類のタイプの女性たちがいて、半分はともしびだけで油を
持ってきていない娘たちで、半分は油をともしびといっしょに持ってき
た人たちでした。どういう風に集まり始めたかは分かりませんが、とも
しびをともして待ち始める分にはなんの変わりはなかったのです。花婿
が来るのを10人の娘たちは待っていました。 油を準備し火をつけて待
っていた、ここまでは同じ動作です。そして1時間、2時間と時間は経
っていきました。そうこうしているうちに、彼女たちは眠気に襲われて
いきます。そして、みな寝入ってしまったというのです。ここまでは1
0人とも同じくともしびを用意し、花婿を待ち、待ちくたびれて眠くな
り、寝入ってしまった。なんとか起きて迎えようとしていたけれども、
肉体的な限界が来て眠ってしまったというのです。 起きて待たなければ
ならなかったのに眠ってしまったのです。ここは問われてはいません。
弟子たちにイエス様が語る中で、 この娘たちが眠ってしまったことにつ
いて、何も批判はしておられません、しかし限界を迎えたことをお伝え
になっています。因みに、弟子たちはイエス様がゲッセマネの園で、文
字通りに、必死に祈っている時にまさに、眠りこけていました。 人には、
確かに限界があります。しかし、このたとえではイエス様は眠っていた
こと自体を問題にはしておられません。むしろ、その後に違いがでると
いうことです。
2.花婿の帰りに、予備の油を備えていたか否か…
ここで、花婿が戻るという状況へとたとえは進んでいきます。どの
くらい遅くなっていたでしょうか、町が賑わい立つ、お祝いムードの中
で、花婿が戻ってきたということが、この10人の娘たちにも知らされ
ていきます。娘たちは、あ、寝てしまったと思ったでしょう、そして準
備し始めます。しかし、ここで3節の違いが明らかになっていきます。
もともと、3節で決定的な違いがあったのですが、花婿の帰りが遅くな
り、時間が経ち、明確に違いが、出てきました。それは予備の油を持っ
ているということです。備えていたということです。賢い娘たちは、自
分のすぐそばに、油を用意していました。ですから、なかなか花婿の帰
りがこなくても、眠ってしまっていても、ぱっと用意が出来ました。し
かし、愚かな娘たちは、ここで彼女らの愚かさが、露呈してきてしまい
ます。慌てふためくこととなり、賢い女性たちに、油を分けて欲しいと
頼みますが、彼女たちにとってもその油はもう分けてあげられるほどの
余裕はなかったのです。愚かな娘たちは、ここで油を買いに出かけてし
まいます。たとえ話は、進み、花婿はここで戻って来ます。一方で油を
買いに行った娘たちは戻って来ますが、門が閉じられてしまい、あなた
がたを知らないと言われてしまいます。もう間に合わなかったというこ
とが明らかとなってしまいます。ここで結びに入ります。
〇むすび
イエス様はこのたとえを弟子たちに話されました。賢い娘のように備
えられているか…、これは24章の忠実なしもべから一貫しているテー
マです。忠実さ、そして備えているかが問われています。これを聞いた
弟子たちは、終わりへの備えの大切さを新たにしたことでしょう。
〇これからの歩みのために
では、主の弟子たちに語られたことは、弟子たちにだから、関係ない
としてよいのでしょうか?いいえ、 イエス様は稲妻のようにこられると
あらかじめ言っておられます。 これは警告であり、恵みです。 私たちも、
弱さや、足りなさ、欠けがあるかも知れません。しかし、賢い娘たちの
ように、油を持っていなければ、足りないとなって慌てふためくことに
なってしまいます。主がみ旨とされていることを、聖霊の助けをいただ
きながら、忠実に、また備えを持って、なさせていただきましょう。
